七夕の行事食はそうめん。
意外に知られていませんが、そうめんは千年も前から七夕の行事食となっていました。節供に旬のものを食べ、邪気を祓ったり無病息災を願ったりする風習はたくさんありますが、夏にひんやりと美味しいそうめんもそのひとつ。暑さで食欲が減退するこの時期にぴったりです。
そうめんのルーツは、中国伝来の「索餅」(さくべい)という小麦粉料理だといわれています。索には縄をなうという意味があり、縄のようにあんだ小麦粉のお菓子のようなものだと考えられています。
古代中国に「7月7日に死んだ帝の子が霊鬼神となって熱病を流行らせた。そこで、その子の好物だった索餅を供えて祀るようになったことから、7月7日に索餅を食べると1年間無病息災で過ごせる」という伝説になりました。奈良時代に索餅が日本に伝えられると、麦の収穫期に麦餅を作る風習とともに宮中行事に取り入れられ、一般にも広がっていきました。やがて、索餅はそうめんへと変化し、七夕に食べられるようになったのです。また、そうめんを天の川や織姫の織り糸に見立てて、七夕に食べるという説もあります。
七夕は、遊んでばかりで働かなくなった織姫と彦星を戒め、働くことを条件に年に一度だけ再会することが許されたという「七夕伝説」をもとに、技芸の上達を願う「乞巧奠(きっこうでん)」が行われ、日本古来の「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説などが結びついて現在のようなかたちになりました。
七夕を「たなばた」と読むようになったのは、この「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説に由来します。
「棚機つ女」とは、神様を迎えるために水辺に設けた機屋に入り、棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機で神様に捧げる神御衣(かみこ)を織りあげる女性の話です。 織姫も棚機つ女も織物をしていたことから、中国の七夕伝説と日本の棚機津女伝説の2つの話しが影響しあうようになって、本来「七夕」と書いて“しちせき”と呼んでいたのを、七夕(たなばた)と呼ぶようになったそうです。
互いの伝説が重なって新しい文化になる。クリスマスやハロウィンもそうですが、異国の文化も柔軟に取り入れて楽しむという日本人の特性は昔ながらのものだったのですね。
そんな大らかな気持ちで受け入れることが出来れば、世の中の争いごとは随分少なくなるでしょう。
世界が平和で、誰もが飢えることなく、美味しくものを食べることが出来、健康でありますように・・・織姫と彦星に願いをこめて
<わたしたちは伊勢神宮・出雲大社 奇跡の両遷宮「神の宮」 増浦行仁写真展に協賛しています>
1963年生まれ。1981年渡仏。1983年 VOGUE(Paris)ギィ・ブルダンのアシスタントとなる。1987年サロン・ドートンヌ入賞。ルーブル、オルセー、パリ近代美術館、ロダン美術館にてポスト印象派の彫刻を撮影。1988年フランス国立図書館に作品31点が永久保存される。2002年、フィレンツェのカーサ・ブオナローティ(ミケランジェロ美術館)を皮切りに、2003~4年日本国内各地にて『GENESIS』(ミケランジェロ作品集)展開催。2006年より神宮司庁の許可を得、伊勢神宮「第62回式年遷宮」ならびに2008年より出雲大社「平成の大遷宮」の撮影をそれぞれ開始する。2013年5月に出雲大社、10月に伊勢神宮の正遷宮(神体の渡御)が行われるまで撮影に従事。これらの撮影作品は『神の宮』として国内外で巡回展を開始。同時に日本の精神文化、その自然観と伝承知による地球40億年の生命の継承を伝える「神の宮共働態」を結成。 写真集『GENESIS』『天狗の棲む山』、関連書『おれは土門拳になる~“奇跡の光” にたどり着いた写真家・増浦行仁の生き方~(村尾国士/著)』
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